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 観音・霊場巡り
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 江刺七観音 江戸時代の仙台藩時代に成立したと考えられる旧江刺郡内の観音霊場。
「安永風土記」によると、嘉祥3年慈覚大師が1本の木から7体の観音像を刻んで郡内に安置したという。黒石寺にはその本木があり「本木観音」といって、これを拝めば七観音巡拝と同じこととも伝えられている。
 奥州三十三所観音 岩手・宮城・福島3県にまたがる観音巡礼霊場。
創設については不詳であるが、名取の老女伝説がある。「奥州順礼記」によると名取郡(宮城県)の旭という神子は紀伊国三熊野に詣だていたが年老いて困難となったので、保安4年名取郡に熊野三所権現を移し三十三番の札所を陸奥に改め藤原秀衡が中興したという。
 糠部三十三観音 岩手県二戸郡・九戸郡から青森県三八地方にまたがる観音巡礼霊場。
創設は地方霊場としては古く、永正9年観光上人で江戸中期寛保3年に八戸天聖寺前住守西上人が再興した。
 江刺三十三観音 旧江刺郡内(江刺全域と北上市・水沢市の一部)の観音霊場。
成立の時期は享保年間とされている。
 盛岡三十三観音 岩手県盛岡市内の観音巡礼霊場。
設定は昭和4年で、盛岡観世音会が御詠歌集を発刊し、案内の巡礼札や納経印をつくって参詣者の便を図ったことによる。
 秋田三十三観音 長久年間(1040〜44)横手御嶽山満徳長者保昌が出家して保昌房と号し、西国三十三ヶ所を巡礼し大仏師定朝に観音像を作らせ秋田六郡の寺社に奉納し巡礼所と定めた。
しかし、長い歳月の間に忘れ去らせて荒廃したのを享保年間(1716〜35)鈴木定行、加藤政貞の二人がその跡を訪ねて巡礼し、その縁起を記述し巡礼記を残した。
 岩手三十三観音 平成15年10月に霊場開創された、真言宗智山派岩手教区内寺院のみを巡礼する新しい三十三観音霊場。
 三陸三十三観音 岩手県陸前高田市・大船渡市・住田町の観音巡礼霊場。
享保二年高田の肝煎だった佐々木三郎左衛門知則が、気仙郡にある観音像の中から、西国巡礼に擬して三十三ヶ所を選んだといわれる。
 気仙三十三観音 岩手県陸前高田市・大船渡市・住田町の観音巡礼霊場。
享保2年高田の肝煎だった佐々木三郎左衛門知則が、気仙郡にある観音像の中から、西国巡礼に擬して三十三ヶ所を選んだといわれる。
 津軽三十三観音 創設は延宝〜延享3年。当初は御国三十三所と称し(松井四兵衛「古今御用抜書」)、江戸時代中頃に番付が編成しなおされ、14ヵ所が異動した(寛延4年〜1751甚五郎の「津軽三十三所巡礼」)。
 田名部海邊三十三観音 むつ市円通寺の慈眼堂に、下北地方の巡礼を裏づける「田名部海邊三十三番順禮札所」と記された偏額が掲げられている。この偏額は、寛政8年(1796)、円通寺十三世千明冠古和尚が先祖供養を目的に奉納したもの。所々の札所には「正徳4年(1714)」の銘があり、それ以前から下北地方には巡礼が存在していたと思われる。
 遠野七観音 平安時代(794年〜1185年頃)前期、慈覚大師が一本の桂の木より七体の観音像を刻んで安置したといわれる。
一昼夜のうちに七観音をかけると特に御利益が高いという。
 昭和三十三観音 奥州市(旧胆沢郡前沢町)の曹洞宗寺院大儀寺27世徳山京輔禅師が昭和13年頃開創した三十三観音。
 宮城三十三観音 明和年間(1764〜72)以前にできた三十三観音霊場。
 八戸御城下三十三観音 八戸市(八戸御城下内)の三十三観音。この御城下三十三観音の御詠歌は明治30年(1897)に八戸の紫雲山来迎寺住職佐々木恭岑氏が観音講中の人たちの求めに応じて作ったものである。
 
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